2026.7【仲間】茂原掩体壕 & 八街飛行場跡

 

 JR外房線新茂原駅東側に残る旧日本海軍航空隊基地の掩体壕(えんたいごう)をご存じでしょうか。これは太平洋戦争開戦直前の昭和16年9月に付近の150戸の民家や寺社及び国民学校(現東郷小学校)が強制移転を命じられて建設がはじまりました。首都東京を敵の空襲から守るための迎撃用の飛行場が急追造営され、主にゼロ戦の部隊が配備されました。掩体壕とは敵の空襲から飛行機を守るために土とコンクリートで造られた格納庫であります。設営には長生中学校や茂原農学校(現長生高校・茂原樟陽高校)の生徒や近隣住民も動員されたとのことです。現在この地域には当時の様子を物語る貴重な戦争遺跡として水田や農家の屋敷内に点在していますが、間近で見るとその大きさや当時の労苦を実感させられることと思います。(幸)


 
 

昭和16年3月に、下志津陸軍飛行学校八街分教所として、八街市朝日と富里市十倉南部にまたがる飛行場が存在し、当時の最新鋭であった百式司令部偵察機などの偵察拠点として運用されていた。当初は空中偵察や情報収集の教育・訓練施設だったが、戦局の悪化に伴い首都防衛任務や偵察任務、末期には米軍機との戦闘や艦船への特攻も行った。子の飛行場から飛び立った偵察機のほとんどは、帰還することはなかったと言われている。終戦により飛行場は閉鎖され、食糧増産のため農地として開墾され、滑走路の跡は道路などに転用されていて、かつての面影はほとんどない。昭和60年5月に建立された「陸軍司令部偵察隊の碑」と「八街飛行場跡記念碑」が現在は草木に覆われ、ひっそりと建っていた。又、ローソン八街朝日店駐車場には、「陸軍八街飛行場跡」の説明板が立っている。

( はる )