2026.8【仲間】御成街道

徳川家康は、慶長18年に寺社参詣・領国巡視そして、鍛錬を目的として狩りを推奨し、自らも鷹狩りを行うため「御狩場」であった東金市までつなぐ道(船橋市本町付近~県立東金高校敷地)全長37kmの、船橋御殿から東金御殿までを、ほぼ1直線に結ぶ「御成街道」の造成を命じた。街道の造営は、命を受けた佐倉城主の土井利勝が、周囲97か村の農民たちを動員し、昼夜を問わず突貫工事を行ったと言われ、現在も「提灯街道」や「一夜街道」など、これに由来する街道の別称が残っている。東金での鷹狩は家康が2回、2代将軍の秀忠が13回、家光が大納言時代に1回、家光が将軍になると、江戸から離れた東金での鷹狩は控えられていたが、街道周囲の村々により維持され、明治時代の頃には「御成街道」の名が定着していた。八街市内では沖区にその当時の姿をとどめた「御成街道」が残されていて、史跡3か所を「御成街道跡」「風景谷(ふがさく)の険」「御成街道の一里塚」として、八街市指定文化財に指定されている。(ハル)